突然ですが心理テストです(笑)

●自分の夢を親(友人)に反対された
●親(友人)が応援してくれない
●あなたの夢なんて叶わないと親(友人)に言われた
●親(友人)に夢をバカにされた
●自分の夢が叶わない気がした

上記の中で、一つでも当てはまる事はありましたか?

一つでもあった人はそのまま読み進めてください。

一つも無かった人はこちらをクリックしてください。

プロを目指すミュージシャンが自分の夢を目指そうとする時に、ぶつかる問題かもしれないので、長いですが、お時間のある方は、ぜひ読んでみてください。

どうもです。ライブハウス39オーナーの満野和敏(みつのかずとし)です。

僕の家族は小さな島でだいだい語り継がれた音楽一家の子孫でした。

そして、父親はプロの演歌歌手でした。

僕は幼少期からずっと音楽に触れていました。

父さんの車の中で流れる演歌。

父さんがいつも歌っている歌。

お母さんのおじいちゃんの家で流れている浪曲。

僕の家には三味線など色々な楽器もありました。

そして、気づけば僕も歌を歌うようになったんですね。

僕が歌えば、父さんも喜んでくれた。

それが僕にとってすごく嬉しかったんですね。

僕も父さんのように歌手になろう。

父さんがコンサートをやる時はついて回りました。

たくさんの有名演歌歌手と共演していたり、オーケストラで歌っている父さんを見て、僕もいつか同じステージに立ちたい。

僕も歌い手になって、有名になりたい。

父さんと共演がしたい。

そんな事を思っていました。

でも、この夢はカンタンには叶わなかったんですね。

それはどうしてかと言うと、突然の両親の離婚。

父さんと母さんと離れ離れの生活。

父さんとの離れた生活。

子供の僕は何が起きたのかわからないながらも、母さんについて暮らしていました。

急に変わった生活にとまどいながらも、何とか生活をしていました。

それから数年後。

高校生になったある日。

僕は軽音楽部に入りました。

軽音楽部ではベースボーカルをしていました。

絶対に学校で一番になってやる。

そんな野望を胸に日々努力していた事を覚えています。

そして、そこから、僕が組んだバンドが学年で一番になるには時間はかかりませんでした。

僕がこの頃音楽をがむしゃらにしていたのは、父さんと再会を果たすためだったかもしれません。

両親が離婚をしてから、父さんとは全く会わない日々でした。

幼少期に思った、共演をしたい。

今思えば、その気持ちを叶えたかったのかなと思います。

でもこの頃の僕は、父さんなんかに負けるか!

絶対に音楽で有名になって見返してやる。

そんな事を思っていたのを覚えています。

そして、僕のバンドは実力や人気もどんどんあがっていきました。

でも、あと一歩行けない。

プロに手が届きそうだけど届かない。

後、一歩だけど・・・。

ここをクリアする事が出来ないまま、バンドは解散してしまいました。

僕はその後も音楽を続けていたのですが、全然うまくいきませんでした。

どうにかプロになりたい。

でもなれない。

25歳までにはプロになろう、なれなかったら音楽をやめよう。

どうにか25歳までに・・・。

でも、時間は無情なもので、僕は25歳の誕生日を迎えました。

もう、音楽をやめよう。

そうやって、音楽をやめて、僕はバイト三昧の日々を過ごしました。

朝も昼も夜もバイト。

僕は一体何のために生きているんだ?

自暴自棄になっていた日々。

そして、そんな事を思っていたある日。

母さんのおじいさんが亡くなって、田舎に帰る事になりました。

父さんと母さんは同じ田舎だったので、僕は田舎に帰るのが数十年ぶりの事でした。

僕は田舎について、母方のおじいさんのお墓に行ってから、父方のお墓にも行こうと思いました。

そして、父方のお墓に行った時に、家の家紋を見て驚いたんですね。

自分の腕に彫った三日月のタトゥーと家の家紋が同じだった事に。

僕はこの頃は、自分が島でだいだい語り継がれている音楽一家の子孫だと言う事も知らなかったので、それを親戚のおばちゃんに聞かされて驚きました。

そして、僕は大阪に帰って音楽をもう一度やる。

そう決めて大阪に帰ってきて、音楽を再開させたら高校の時に憧れていたプロミュージシャンと共演出来たり、大きなステージに立てたりしました。

そして、ライブハウスの話がきました。

僕は音楽を通して、自分が救われたから、自分と同じように救われる人が出てくるように、ライブハウスをやろう。

そう思って、ライブハウスを開いたんですね。

ライブハウスを開いてからも、300人のキャパを埋める事が出来ないとミュージシャンの子達が言っていたので、実際に埋める事が出来る。

それを見せてあげたい。

学生の頃のあの頃のように。

そう思って、実際に僕はバンドを組んで、ライブを行って、実際にライブハウスを満員にして、ミュージシャンの子達に見せる事が出来ました。

僕が出来る事はみんな出来るんやで。

みんなの夢は叶うんやで!

それを伝えたくてみんなと一緒にステージに上がっていました。

そして、その後、僕はステージから離れた時期もあったんですが、再び立とうと思ったある日。

父さんとの再会を果たすきっかけを作る事が出来たんですね。

20年ぶりの再会でした。

僕は父さんに会いに行って、子供の頃の気持ちを伝えました。

父さんと一緒に共演がしたい。

その頃には父さんは音楽をやめていたのですが、それでも何度も説得して、父さんとステージに立つことが決まりました。

父さんが生まれ育った島でキャパ400人の会場でコンサートをする。

でも、周りの人にはキャパ400人の会場で人は入らないだろう。

そう言われたコンサートでしたが、本番は大成功。

僕はここで親子の共演を果たす事が出来ました。

その時の事をドキュメンタリー映画として納めたものがこちらです。



僕はずっと出来なかった親孝行が少しは出来たんじゃないか。

そう思えました。

その後、父さんや母さんと話をしていて思う事は、父さんも母さんも子供の夢を応援しているんだなって思った事でした。

言葉では厳しい事を言われました。

でも、親は子供が好きな事で成功する事を望んでいます。

好きな事で生きる事は最高の事。

あなたが好きな事を精一杯やって、夢が叶う事を家族も周りも応援しています。

好きな事をやって、夢を叶える第一歩目の場所として、ライブハウス39を使っていただければ嬉しいです。

後、実際にプロになったミュージシャンや僕がライブハウスを満員にしてきた経験を集客アップの方法と言うところに書いていますので、ぜひご覧ください。

ライブハウス39オーナー  満野和敏(みつのかずとし)